mermaid cageインスタレーション|紙、スタイロフォーム、木材、リトグラフサイズ可変
私にとって人魚のモチーフは自己の投影で、足を切り落としたり檻に閉じ込めたりして自身の持つ不安や痛みを分つ存在です。 大学卒業という大きな節目を前にして感じた先の見えない将来への不安、こんな見せ物になってしまいそうな私を誰か見て、助けて、大丈夫だと言ってほしい。そんな叫びがこの作品を形作っています。 宮坂祐理
感受性が豊かな青春期に誰もが抱く将来への不安や漠然とした焦燥感を、宮坂は幽閉された人魚というイメージで表現した。仄暗い空間がかつて縁日などで見られた見世物小屋に通ずる趣で、怪しげな雰囲気によって異彩を放つ秀逸なインスタレーション作品である。リトグラフで刷った図像を舞台装置の張物のように自立させ、版画が持つ大衆性や娯楽性というファクターを活用することで、大上段に構える表現となることを無意識に回避している。それにより強められる虚構性が、かえって同時代的感性に響く魅力となっているのではないだろうか。 油絵学科教授 遠藤竜太
作者より
私にとって人魚のモチーフは自己の投影で、足を切り落としたり檻に閉じ込めたりして自身の持つ不安や痛みを分つ存在です。
大学卒業という大きな節目を前にして感じた先の見えない将来への不安、こんな見せ物になってしまいそうな私を誰か見て、助けて、大丈夫だと言ってほしい。そんな叫びがこの作品を形作っています。
宮坂祐理
担当教員より
感受性が豊かな青春期に誰もが抱く将来への不安や漠然とした焦燥感を、宮坂は幽閉された人魚というイメージで表現した。仄暗い空間がかつて縁日などで見られた見世物小屋に通ずる趣で、怪しげな雰囲気によって異彩を放つ秀逸なインスタレーション作品である。リトグラフで刷った図像を舞台装置の張物のように自立させ、版画が持つ大衆性や娯楽性というファクターを活用することで、大上段に構える表現となることを無意識に回避している。それにより強められる虚構性が、かえって同時代的感性に響く魅力となっているのではないだろうか。
油絵学科教授 遠藤竜太