close the loopインスタレーション|珪砂、映像、木、メディウム、プロジェクタInstallation art | Silica sand, video, wood, medium, projectorサイズ可変
私たちは、何かを築いては失ってゆく。 けれどもそれは、確かな痕跡として蓄積され、流れの中を巡ってゆく。 崩れ去ってゆくそれらが形を変える時、その先で美しくあって欲しいと思う。 笠井晴子
笠井晴子の卒業制作は、囲われた空間を上下別の世界観に分けたインスタレーションである。上階には白砂で造られた街の様子が広がり、正面の壁にはその街が人為的に形成されてゆく過程を記録した映像が映し出されている。そして上下階を区切る境の板より、上階から通じる細い穴を通して白砂が流れ出し、下階一面へサラサラと美しく向月台の様に降り積もる。まるで京都の龍安寺や銀閣寺の石庭を思わせるモノトーンな静寂に包まれた空間が演出されたものとなっている。 人の手により創り出されたその街並みは、次第に崩れ去り、石庭へと姿を変えてゆくのだが、そこには実存的無常観を湛えており、笠井は人間というものが生きてゆくことで抱えることとなる心や精神の問題に対して、自身の持つ動物的直感力でそれを捉えて、これを造形という手段を介して第三者に伝達を試みている。 「人間は自由の刑に処せられている…」という言葉に出会ったことがあるが、「人間の自由とは何か?」と問うたとき、それは自らの望む己のあり様を自らで創ることに他ならず、そこには自を創り出すために己に科した決め事と、それに伴う責任。そしてそこから来る不安と孤独の戦いである。 笠井は、そんな人間が自身の自由を得んがための自己の戦いの果ての残骸に、哀れと儚さを見いだし、そこに無常の美というものをみとめようとしているのではないだろうか。 日本画学科准教授 岩田壮平
作者より
私たちは、何かを築いては失ってゆく。
けれどもそれは、確かな痕跡として蓄積され、流れの中を巡ってゆく。
崩れ去ってゆくそれらが形を変える時、その先で美しくあって欲しいと思う。
笠井晴子
担当教員より
笠井晴子の卒業制作は、囲われた空間を上下別の世界観に分けたインスタレーションである。上階には白砂で造られた街の様子が広がり、正面の壁にはその街が人為的に形成されてゆく過程を記録した映像が映し出されている。そして上下階を区切る境の板より、上階から通じる細い穴を通して白砂が流れ出し、下階一面へサラサラと美しく向月台の様に降り積もる。まるで京都の龍安寺や銀閣寺の石庭を思わせるモノトーンな静寂に包まれた空間が演出されたものとなっている。
人の手により創り出されたその街並みは、次第に崩れ去り、石庭へと姿を変えてゆくのだが、そこには実存的無常観を湛えており、笠井は人間というものが生きてゆくことで抱えることとなる心や精神の問題に対して、自身の持つ動物的直感力でそれを捉えて、これを造形という手段を介して第三者に伝達を試みている。
「人間は自由の刑に処せられている…」という言葉に出会ったことがあるが、「人間の自由とは何か?」と問うたとき、それは自らの望む己のあり様を自らで創ることに他ならず、そこには自を創り出すために己に科した決め事と、それに伴う責任。そしてそこから来る不安と孤独の戦いである。
笠井は、そんな人間が自身の自由を得んがための自己の戦いの果ての残骸に、哀れと儚さを見いだし、そこに無常の美というものをみとめようとしているのではないだろうか。
日本画学科准教授 岩田壮平