ふたしかにあるA thing that exist vague
メモnote諫早石H850 × W1300 × D400mm、[最小]H40 × W100 × D50mm〜[最大]H60 × W150 × D110mm(5点)
通勤通学の電車で、コンビニで、同じ空間にいた人。道行く人々。 日常の大半を構成している、すぐ忘れてしまうような見知らぬ他人という存在を、石という確かな質量をもってそこにある素材を使って形にしてみる。 保坂杏奈
遺跡のような空気を作っている保坂の作品は、「ぎりぎり」の人間の表現と言えるかもしれない。その「ぎりぎり」であり続けようとする手技がこの2つの作品の身の上なのだろう。幾何学的な連続した立体と人間の感触という矛盾した要素が、一つの形として砂岩の中から彫り出されている。自然の石としての存在感と強い意思を感じさせる造形を併せ持つこの形は、今作られたはずなのに、長い年月を経て発見された謎の物体としての佇まいだ。この両極に止まろうとする判断に裏打ちされた手技は、人間の形をした造形よりもむしろ生々しい。この相反する要素は《メモ》と名付けられている作品にも当てはまる。日常の延長のようにたった今伝えたいことが彫刻された石片は、遥か未来の何者かと共有されるだろう。《ふたしかにある》とは、「不安定」を永遠に安定させる方法なのだろうか。 彫刻学科教授 伊藤誠
作者より
通勤通学の電車で、コンビニで、同じ空間にいた人。道行く人々。
日常の大半を構成している、すぐ忘れてしまうような見知らぬ他人という存在を、石という確かな質量をもってそこにある素材を使って形にしてみる。
保坂杏奈
担当教員より
遺跡のような空気を作っている保坂の作品は、「ぎりぎり」の人間の表現と言えるかもしれない。その「ぎりぎり」であり続けようとする手技がこの2つの作品の身の上なのだろう。幾何学的な連続した立体と人間の感触という矛盾した要素が、一つの形として砂岩の中から彫り出されている。自然の石としての存在感と強い意思を感じさせる造形を併せ持つこの形は、今作られたはずなのに、長い年月を経て発見された謎の物体としての佇まいだ。この両極に止まろうとする判断に裏打ちされた手技は、人間の形をした造形よりもむしろ生々しい。この相反する要素は《メモ》と名付けられている作品にも当てはまる。日常の延長のようにたった今伝えたいことが彫刻された石片は、遥か未来の何者かと共有されるだろう。《ふたしかにある》とは、「不安定」を永遠に安定させる方法なのだろうか。
彫刻学科教授 伊藤誠