食卓Dining岩絵具、和紙、写真をコラージュMineral pigments, washi, collageH2000 × W2700mm
食卓を囲む家族を描いた。 私が彼らを描いている間も、彼らは生活を送っている。服も料理もいつも同じであるはずはないし、物だって動かしたり片付けたりしてしまう。静物画のモチーフを組むように、それらを固定することはできないのだ。 ドローイングや写真をコラージュしたり剥がすことを繰り返すことによって、家族の生活の痕跡を表現したいと思った。 沖綾乃
食卓に置かれた事物も、周辺に座す家族も、それぞれが途切れ途切れである。しかし、その断片たちは微妙に振動しながら存在のリアリティーを奏でる。 ところどころに生じたすき間は、作者が物質感の強い粗い岩絵具とコラージュで埋めて行く。その作業で壊れかけていた画面の調和が保たれるのだ。実に巧みである。 観る者は、そうした時のかけらを拾い集めながら、忘れかけていた日常をつなぎ合わせてみたくなる。 そしてふと作者のことを思う。作画技術の巧みさと、生きる上での巧みさが一致しないのが、画家の悲しい宿命であり誇りでもあるのだと。 日本画学科教授 山本直彰
作者より
食卓を囲む家族を描いた。
私が彼らを描いている間も、彼らは生活を送っている。服も料理もいつも同じであるはずはないし、物だって動かしたり片付けたりしてしまう。静物画のモチーフを組むように、それらを固定することはできないのだ。
ドローイングや写真をコラージュしたり剥がすことを繰り返すことによって、家族の生活の痕跡を表現したいと思った。
沖綾乃
担当教員より
食卓に置かれた事物も、周辺に座す家族も、それぞれが途切れ途切れである。しかし、その断片たちは微妙に振動しながら存在のリアリティーを奏でる。
ところどころに生じたすき間は、作者が物質感の強い粗い岩絵具とコラージュで埋めて行く。その作業で壊れかけていた画面の調和が保たれるのだ。実に巧みである。
観る者は、そうした時のかけらを拾い集めながら、忘れかけていた日常をつなぎ合わせてみたくなる。
そしてふと作者のことを思う。作画技術の巧みさと、生きる上での巧みさが一致しないのが、画家の悲しい宿命であり誇りでもあるのだと。
日本画学科教授 山本直彰