榎本伊吹

ENOMOTO Ibuki

現象の什器
utensil of phenomenon

インスタレーション|雲肌麻紙、水干絵具、岩絵具、タイル、目地材、木材
H1897 × W2197 × D497mm

作者より

森に木や植物が生えてくるように現代都市には建物(壁)が湧いてくるようだ。
本作品では街中に人の手で意図的に壁を立ちあげることで、都市部の風景に見られる人によって作られた現代の“窮屈感”が都市を超え世界全体に伝染していくイメージを重ねた。
その中で壁に絵画を掛けることで、世界の一部を歪めようとした。しかし掛けられた絵画は表面的な情報でしかない。絵画を通して歪む世界を直視することは、新しい世界を望むきっかけになるのではないだろうか。
これは日本画の平面性や形式性が空間を生み出す現象を認知させる装置である。

榎本伊吹

担当教員より

この頃、私の家の隣りの広大な畑地に分譲住宅の建設が始まった。今まで当然のごとくそこにあった空と大地が織りなす大きな空間をもう感じることは出来ない…。
榎本伊吹は、建造物により都市化する光景を「湧く」、「生える」と表現する。日本の人口も一人当たりのGDPも減るばかりなのに家々だけが新しく増え続けてゆく。かつて日本とは広い空間を襖や障子、屏風などで間仕切りをし、その時々に集まる人間の距離感を絶妙に図りつつ団欒を形成して来た。しかし現代、そのいつでも取り払うことの出来る壁は次第に厚くなり堅牢となって、一人一人を閉じ込めてゆく。まるで独房の様に。
榎本は、タイル張りの冷たく人々の繋がりを阻むかの様なこの壁を、ときに汲々と犇く街中に、ときに広大なグラウンドに突如として空間に出現させた。
タイルの壁には、壁と同様のタイルの絵が描かれ、その掛けられた絵画は辛うじてその厚みと描かれるタイルの歪みで存在が認識されるものの、それは私たちを癒すこともなく冷たく突き離す。
且つての壁とは、雨風から私たちを守り、心の平常を自らが見つめ保ちつつ、やがては取り払うべきものであった。だから日本の壁とは状況の変化とともに自在に変容が容易いよう作られていたのだろう。そして絵画とは且つては単なる部屋のインテリアとしてではなく、ときに癒され、ときに学ばされ、ときに励まされ、見守られる様な特別な存在であったのだと思う。
榎本の作品は、現代の日本人の心の頑なさや愚かさや間違いを壁とそこに掛けられた絵画、そしてあるゆる場所にそれを突如に出現させる行為でそれを絶妙に表現している。
また今回、彼のこの卒業制作は、制作過程終盤において、何者かにスプレーで落書きをされ辱められた。だが榎本は、辱められるがままにそれを受け入れ、いかにも悟った風を装うのではなく、この悲しいハプニングを受け入れつつもしっかりと抗い更にこの作品のあるべき様を模索し続けることによって、人が生きる上での大切なこととは何であるかを我々に問いかけ、示唆している様に思うのである。

日本画学科教授 岩田壮平