嶋田智文

Shimada Chifumi

<概要>
想像力のための挿絵とはいったいどのようなものであるか。本論では、小川未明の童話と初山滋の童画の親和性の要因を分析するとともに、人が生まれ持つ想像力を養うための挿絵の在り方について考える。
未明も初山も「童心」を持ち続けた人物であり、作家と画家2人の精神に共通して存在した「童心」は物語と絵の親和性の根底となったものと言える。
そして、「幽玄」の魅力を持つ初山童画は、未明童話に存在する「余情」を描かれないことの余白によって表現し、味わい深い協奏の余韻を読者の心に残した。初山の未明童話に描いた挿絵は内容理解を促すためだけのものではなく、想像することの「とらえどころのなさ」を深めるものであり、作品の中でにおいや音など読者に五感を通した共感を育てた。
挿絵が、読者個人の想像の在処つまり読者の内的時間や心情の生きる場所として活用されることで、我々を現実のさまざまな意味や固定観念から解放するのではないか。
今私たちはネット社会の発達により情報があふれ、SNSというメディアで何もかもが共有化されてしまう時代にいる。だからこそ、読書という私的な営みから、文字や絵といった途方もない他者という外部に自己を見出し、自己の内面にその発見を残す。孤独でゆとりある想像の時間は、人生において、また如何なる時代においても必要だ。
筆者は、想像のための私的な空間と時間が確保される「書物」と向き合うこと、そして書物芸術としての「挿絵」の存在にその可能性と実現性を期待しているのである。

想像力のための挿絵とは−未明童話と初山童画の親和性−
What do illustrations mean to imagination? -Affinity between Mimei’s fairy tales and Hatsuyama’s pictures for children-

論文
Thesis
80ページ 37189字

作者より

想像力のための挿絵とはいったいどのようなものであるか。本論において筆者は、小川未明の童話と初山滋の童画の親和性の要因を分析するとともに、人が生まれ持つ想像力を養うための挿絵の在り方について述べている。
孤独でゆとりある想像の時間は、人生において、また如何なる時代においても必要だ。筆者は、想像のための私的な空間と時間が確保される「書物」と向き合うこと、そして書物芸術としての「挿絵」の存在にその可能性と実現性を期待しているのである。

嶋田智文

担当教員より

童話作家・小川未明とその挿絵画家・初山滋による恊働の作業を、20世紀初頭の日本におけるデモクラシーやモダニズムの台頭を背景として、「お伽噺」から「童話」へ、「お伽絵」から「童画」へ移行していく児童書出版の転換点とみなす論考。未明の存在は歴史的なものだが、画家・初山の線描的な画風や装釘デザインを細かに分析しながら、造形と印刷技術の関係を含めこの時代書物の想像力をあぶり出す、新鮮な切り口が評価された。

芸術文化学科教授 髙島直之