矢萩理久

Yahagi Riku

衣裳のペルソナ01
persona of costume 01

セラミック、ブロンズ、フェルト
Ceramic, bronze, felt
H1600 × W600 × D580mm

衣裳のペルソナ02
persona of costume 02

セラミック
Ceramic
H1600 × W2000 × D50mm

衣裳のペルソナ03
persona of costume 03

セラミック、FRP
Ceramic, FRP
H900 × W600 × D150mm

作者より

千利休は欠けた茶碗を美しいと言った。「人間は欠けた存在で、完璧などあり得ない。欠けた存在だからこそ愛おしい。」そのようなことから私は人間の進化を考えた。類人猿から人になる時、人類は体毛を失い、代わりに服を身に纏った。体毛があれば服を身に纏うことなどしない。いわば服は体毛の代用品である。服を身に纏うこの行為が私にはどうしても不完全で愛おしいのだ。本作はそんな不完全な私が思う服のペルソナである。

矢萩理久

担当教員より

「一枚」に関わる作品である。矢萩の本作にいたるまでの2年間は「陶/和/布」をテーマとして据え、文字通りその言葉を彫刻化することに終始した時間だったと言って過言ではない。断言すると、それは全くと言っていいほどに言葉に翻弄された、彫刻化しない時間であった。
本作は、誠実に向き合うだけでは取り付く島もないそんなテーマに矢萩が邪道な手段で一矢報いた快作である。布が土管として鈍重な姿を晒し(そこに異物―布そのものまでも―が当然の体で張り付く)、陶が端切れと化しケミカルブルーのガラスマットに侵食される(その姿はさながら「90年代日本の個性」ヤマンバギャルだ)。極め付けは、バキバキでペラペラの陶がFRPに矯正されて壁に張り付く2枚のレリーフ。布のイメージを通り越し、お代官様の悪巧みを透かし見る障子戸に見えてしまうのは私だけか。
本作は、矢萩が誠実さの果てに邪道へとヒールターンする陶への反抗声明である。その発端が陶の基本形態「たたら板」であったことに矢萩の表現への真実が隠されている。たかが一枚、されど一枚。表現の舞台では邪道こそ正道である。

彫刻学科准教授 冨井大裕