樫田芽以

Kashida Mei

<概要>
 「断片とは何か。」それは、かつて完成された一つの「全体」に属し、その一部として機能していたにも拘わらず、ある時なんらかの外的な力、自然や時間、あるいは意図的な暴力によって、バラバラにされ、引き剥がされてしまって、その後に残った一片である。だから、断片は、断片であるという事実によって、それ以外のもの、つまりかつてあった全体を暗示する宿命を負っている。
自分の髪の毛一本が抜け落ちたその瞬間から、生々しさを帯びて見えるのは何故か。ガラスの破片は痛ましいほどに鋭利であるが、では、その鮮烈さは何処からくるのか。「失ったものを取り戻そうとする力」、つまり復帰力、元に戻ろうとする、悲しいほどの活気にみちた反発的弾力、これこそが断片に秘められた魅力なのである。
そして、実は人もまた、断片でできている。誰しも、常になんらかの影響を受けながら、欠片欠片のつぎはぎで自分をつくっていく。また、「今」という完全なる現在は、過去の記憶になるにつれ、細部を失っていく。生きていく中で、人はどれだけ多くの断片を失くしているだろう。失われた断片を求めて、私たちもまた、無意識のうちに呼び声をあげているのではないだろうか。
断片と断片は、互いに引き寄せあい、出会う。するとその瞬間、違和感や摩擦から一瞬の恍惚、衝突が生まれる。火花が散る。ぴったりと合わさることはない、二つのピース。しかし、その衝突の背後では、実は「共鳴」としか言いようがない、不思議な調和が生まれている。
これは、断片と断片の、そして断片と私の「共鳴」の秘密をめぐる「断片交響学」である。

断片交響学 −ひき剥がされたものたちの魔力
The Symphony Of Fragments −The magical power of the torn things

論文
Thesis
82ページ 35510字

作者より

「断片とは何か。」それは、かつて完成された一つの「全体」に属し、その一部として機能していたにも拘らず、ある時何らかの外的な力によって引き剥がされてしまった一片である。だから、断片は宿命的にそれ以外のもの、つまりかつてあった全体を暗示する。
断片と断片は、互いに引き寄せあい、出会う。そこでは一体何が起きているのか。これは、断片と断片の、そして断片と私の「共鳴」の秘密をめぐる「断片交響学」である。

樫田芽以

担当教員より

失われたもの、忘れ去られたものの「叫び」に対する、渇望と憧憬。「断片」という、世界編集と把握の方法論を生まんとする、果敢なエクリチュール(書くこと)が、かかる「自己投企」的傑作を生んだ。
現代社会に対する疑義、批判、あるいは絶望。社会を、芸術によって変革し、クリエイティヴな、真の新たな幸福が得られるように。祈りに似た思いで編まれた、異色の衝撃論である。

芸術文化学科教授 新見隆