内藤花歩

Naito Kaho

<概要>
十九世紀にフランスで活動した画家、ジャン=フレデリック・バジール(Jean=Frédéric Bazille, 1841–1870)が描いた光の表現とはなんだったのかを、この論文では取り上げる。彼はモネやルノワールの友人であり、そして支援者であった。「第一回印象派展」の企画立 案をした人物であることから、今日の日本では、黎明期印象派の立役者として知られている。加えてバジールは若くして戦死した為、「未熟な画家」であると評価されている。なぜバジールの認知や評価が低いのか。
実際に筆者がバジールの絵画を何度か観ると、確かに「堅さ」や「違和感」を感じた。しかし彼の作品の変遷を追っていくうち、その「堅さ」や「違和感」は「未熟さ」からくるものではないと考えるようになった。バジールの作品から感じる「違和感」とは、近代化へ進んでゆく十九世紀前半のフランスに混在していた、古い価値観と新しい価値観の「ズレ」の中で生きる、市井の人々の「違和感」を表現したのではないかと、筆者は考える。
そこでさらに、バジールがその後半生で描いた、残りの絵画作品を重点的にみていく。その結果から、バジールは、多くの芸術家と交流し、影響を受けながらも、独自の表現を探究し、描いていたことが考察された。彼独自の光の表現方法を戦争に行くその間際まで、模索し、描き続けていたのではないかと考えられるのである。バジールが辿り着いた、独自の光の表現方法とは、彼が生きた時代に混在した、「古き」と「新しき」二つの異なる光の表現を、印象派の「陽の光」を軸に融合させて描くことだったのではないか。そしてその三つの光の表現を融合させるために、バジールは光に満ちた「大気」の表現に行き当たったのだと筆者は考える。
以上のようなことから、バジールという画家は戦争に行くその最後まで、彼独自の光の表現を探究していたということを、この論文では論証していく。バジールは決して「未熟な」画家で終わったわけではなかったのではないか。筆者はその可能性を主張する。

ジャン=フレデリック・バジール(Jean=Frédéric Bazille ,1841–1870)−光の研究−
Jean = Frédéric Bazille, 1841-1870 : Research of the Light of Painting.

論文
Thesis
94ページ 39475字

作者より

19世紀フランスで活動した黎明期印象派の画家、ジャン=フレデリック・バジールが描いた光の研究をテーマに論文を書きました。彼は戦争で28歳という若さで亡くなってしまったため、日本ではあまり認知されておらず、「未熟な画家」として知られてきました。そこで私は、実際にバジールの作品を鑑賞し、本場フランスの最新のバジール研究を読み込んでいきました。バジールは、彼の生まれ育った環境や、親しみやすい人柄から、モネやルノワールだけでなく、マネやドガ、ファンタン・ラトゥールに至るまで、様々な芸術家と交流し、影響を受けていたようです。
調査の結果バジールは、戦争に行くその間際まで、彼独自の光の研究を行っていたのではないかと、その可能性を考察し、バジールは「未熟な画家」ではなかったのではないかと、今回、論証してゆきました。そしてこの結果から、バジールという画家を通して、新たな側面から「印象派」の魅力を伝えられるのではないかと、私は考えます。

内藤花歩

担当教員より

「印象派」の作家たちの中でも、日本ではほとんど知られていないフレデリック・バジール。高校時代から続けてきた印象派研究から立ち上がった、バジールの「光」の表現というテーマに真摯に向き合い、現地で作品を見、仏語文献を読み解くという、美術史研究の基本を愚直なまでに貫き、早逝したバジールの短い画業の重要性を可視化した労作である。ここから見えてきた、バジールとセザンヌの関係にさらに踏み込み、新たな視点から近代美術史の世界を広げてほしいと願う。

芸術文化学科教授 杉浦幸子