Pale Blue Actionsインスタレーション|木板、ディスプレイ、ほか|可変Installation art|Wooden boards, display monitor, other映像Movie18min 27sec
私はモニターという板と木の板をフラットに扱うことを無意識に自分に課していたようです。その意識は板に限らず映像内部の要素にも滲んでいるなと感じます。目的は多数あります。でも目的そのものやその達成が前面に出ることを今は拒否しているようです。もちろん目的以外のこともいくつか配置されていて、この作品の板の木目とモニターの面が入れ替わっても何も差し支えのないビジョンを設置の途中に与えられました。 鐘ヶ江歓一
鐘ヶ江くんの普段の制作スペースを見るのは楽しい。あまり上手くない習字が額に入り、木切れや模型、おもちゃの被り物、スプレーで描いた絵のようなものでいっぱいで、そこにある時間も含めて、全体が作品として佇んでいるようでいつもわくわくする。このような幅広い遊びの感覚を制作の土台にしている鐘ヶ江くんだが、卒業制作ではオーケストラがクラシック音楽を奏でるような、フォーマルな空間を作りあげようとした。しかしこれはあくまで方便であって、実際には、二つだけの観客席に向かって、音楽ではなく視覚体験としての広大な広がりのある物語を画策した。 油絵学科教授 赤塚祐二
作者より
私はモニターという板と木の板をフラットに扱うことを無意識に自分に課していたようです。その意識は板に限らず映像内部の要素にも滲んでいるなと感じます。目的は多数あります。でも目的そのものやその達成が前面に出ることを今は拒否しているようです。もちろん目的以外のこともいくつか配置されていて、この作品の板の木目とモニターの面が入れ替わっても何も差し支えのないビジョンを設置の途中に与えられました。
鐘ヶ江歓一
担当教員より
鐘ヶ江くんの普段の制作スペースを見るのは楽しい。あまり上手くない習字が額に入り、木切れや模型、おもちゃの被り物、スプレーで描いた絵のようなものでいっぱいで、そこにある時間も含めて、全体が作品として佇んでいるようでいつもわくわくする。このような幅広い遊びの感覚を制作の土台にしている鐘ヶ江くんだが、卒業制作ではオーケストラがクラシック音楽を奏でるような、フォーマルな空間を作りあげようとした。しかしこれはあくまで方便であって、実際には、二つだけの観客席に向かって、音楽ではなく視覚体験としての広大な広がりのある物語を画策した。
油絵学科教授 赤塚祐二