みえなくなっていくBecoming Invisible
パネル、テンペラ、油絵具Panel, tempera, oil paintsH1818 × W2590mm
みちびかれていくGo led byパネル、テンペラ、油絵具Panel, tempera, oil paintsH1120 × W1620mm
のこっていくGo still remainsパネル、テンペラ、油絵具Panel, tempera, oil paintsH2273 × W1620mm
私の実家の庭には、大きな木や花などが咲いています。植物から見る風景は不安さを抱きました。 でも風が吹くたび全身で風をうけ、ながれを感じたことをもとに制作しました。 植物を通してみる景色は、遠くにある家、山、湖、などが見え、小さい頃の自分の視点でもあります。 脈を打つように筆おき、この風景がどこまでも続いてほしいという願いがあります 野中美里
野中美里の作品は、人間の存在自体も自然のひとつとして感じられるかのような、超自然的な生命感にあふれている。旋律のように伸びる一本一本の線は、うねりのような流動性とリズム感を生み出し、大きな息吹となって画面に躍動感をもたらしている。それはまるで、インド哲学で人間存在の構成要素の1つである風の元素を意味するプラーナさながら、生命エネルギーそのものが世界に充満し、互いに循環し合う姿を可視化したかのようでもある。今後の活躍が期待される作家の一人である。 油絵学科教授 遠藤彰子
作者より
私の実家の庭には、大きな木や花などが咲いています。植物から見る風景は不安さを抱きました。
でも風が吹くたび全身で風をうけ、ながれを感じたことをもとに制作しました。
植物を通してみる景色は、遠くにある家、山、湖、などが見え、小さい頃の自分の視点でもあります。
脈を打つように筆おき、この風景がどこまでも続いてほしいという願いがあります
野中美里
担当教員より
野中美里の作品は、人間の存在自体も自然のひとつとして感じられるかのような、超自然的な生命感にあふれている。旋律のように伸びる一本一本の線は、うねりのような流動性とリズム感を生み出し、大きな息吹となって画面に躍動感をもたらしている。それはまるで、インド哲学で人間存在の構成要素の1つである風の元素を意味するプラーナさながら、生命エネルギーそのものが世界に充満し、互いに循環し合う姿を可視化したかのようでもある。今後の活躍が期待される作家の一人である。
油絵学科教授 遠藤彰子