川本仁紀

KAWAMOTO Niki

46億年前から別れ話
Break up talks for 4.6billion years ago.

映像|プロジェクター
18分00秒
(掲載映像はダイジェスト版)

作者より

永続も、離別が来れば刹那へと突然変異する。
終わり(死)を交渉する時間である『別れ話』を最後のモラトリアムと捉え
今まで見てきた光景、永続だと思えた人生というタイムライン(例えるなら46億年間のような)や、平時というシーケンスにいくつかの『別れ話』を与えた卒業式風の映像。

川本仁紀

担当教員より

かつて卒業式で定番の曲「仰げば尊し」から始まるこの映像作品は、女性の声のモノローグで進行していく。先生、友、学校への回想とともに、この瞬間、別れを決意し「さようなら」と声にする歌詞であり、この歌詞と共に46億年の地球創生から現在までの月日と重ね合わされる。川本の映像における、画像、言葉、音などはダブルイメージ、トリプルイメージといったように、ひとつの要素が複数のイメージを呼び込むように意図されている。冒頭「仰げば尊し」が歌と語りによって2度繰り返された後、無音の映像が始まる。そこでは腹を上にした魚の瀕死の姿が映し出され、その後遠くの花火を映した夜景に切り替わり、その夜景から花火が消えると画面は真っ暗な夜空になる。イメージも声もなく字幕のみが語り出す。その内容は、人間の体について体内からの視点で語られる。体内で心臓や胎児がどれだけ活動していても外にはその音は漏れない。良く守られている故に、内側からの声(メッセージ)は外へは聞こえない(伝わらない)。その後、幼少期の父との記憶、生まれ育った東京、海というように、胎児を守る母体がわたしたちを条件づけている地球へまで拡張される。移動する電車の窓から見える東京の風景は、「どんどん綺麗になっていく」。人が成長することと、地球創生の時間が重なることで、自らのコントロールが及ばない力学で、世界は美しさによって覆われる。一方、「伝わらないけどね」と諦めにも受け取れる言葉が漏れる。壮大なスケールを語っているように見えるが、「心の声とは自分にしか知覚できない映像」と自己言及的に語ることで、みんなが見ている目の前の映像そのものへ意識を向けさせる。何度も出てくる語りの最後の「ね」という他者へ対する同意を求めているのか、自身へ言い聞かせているのか判別できない「ね」が、映像場面が切り替わっても宙を浮くように画面に残ることや、大量の画像(自分が撮り溜めた画像)をスクロールしながらイメージを探す(ことばを探す)ような場面など、自分の記憶(映像素材とことば、サウンド)を画面上でリアルタイムで紡いでいるように見えることからも、この映像そのものが世界そのものであることを示唆する。最後の場面では、離陸する飛行機の窓から地上を見下ろしながら再度「仰げば尊し」を歌うのだが、ここでは人類と別れを告げているようにも取れるが、映像を鑑賞しているわたし(作者本人も含まれる)は、相変わらずこの日常で作品を鑑賞しており、地上に縛り付けられたまま取り残されている。母親と体内の胎児との関係のように切っても切り離せない関係に「さようなら」とこの一瞬によって別れを告げることは、わたしたちに何がもたらされるのだろうか?わたしの脳裏には「ね」の一文字がいつまでも浮遊する。

油絵学科准教授 小林耕平