島田明洋

SHIMADA Akihiro

知らない言葉も呼びかける、または影踏
Words I don’t know are calling me, too. or shadow tag

インスタレーション|キャンバス、油絵具、木材、鏡、スタンドライト、ほか
サイズ可変

作者より

熱い。と思って手を離した。私の腕だから融通が効く。冷そう。そう思って手を水につけた。私の腕だから冷やして痛みを抑えてやろう。ふと無くした指輪が目に入った。私のものは皆近くにある。

「あの山小屋」と話したら、その人にはどうやら見えていないらしい。周りよりも山の端がストンと落ちた場所だから、見つけやすいはずだ。そこからは見えないのか、私の伝え方が下手なのか、私にしか見えていない。プライベートは割と遠くにもあった。

島田明洋

担当教員より

迷路のようなしつらえの長い通路を進むと、突き当たりに黄色く塗られた壁が見える。近づくと同じ黄色の小さな絵の存在に気付くが、目の前まで来るとそれは絵ではなく黄色を反射した鏡であることがわかる。その「腑に落ちる」感じに身構える。通路を曲がった先には「何かを持っていたような手」を描いた絵があり、そこを抜けると、つくりかけの映画のセットのようなひらけた空間に出た。不意にセンサーライトが光る。不完全な壁には大小数点の絵がかけられており、不穏な森の木々を描いたものからそっけない色面のようなものもある。さらに色面を模したように四角く壁を切り取った穴。
作者にコントロールされたというある種の圧迫感と「すべてが明かされすべてが委ねられた」という解放感。そこまでの断片的な記憶を反芻すると、少しずつ重なった仕掛けが「絵をみる」という捉えがたい行為につながっていることがわかってくる。しかしその特殊な体験の中で最も印象深いのは、そこにかけられた絵の静かな美しさであった。今、ここでしか観ることのできない、移りゆく「絵画」なるもの。自己表現に没しない自立した絵画は、観せるための操作があればこそ、そこから逃れ、さらに別の美しさをまとう。

油絵学科教授 袴田京太朗