シ カd e e r
パフォーマンス|サイズ可変
2024年1月、山で鹿の骨を拾った。 それを人に見せることに対して違和感があり、だがどうしても見せてしまう。鹿を展示室に連れ込み多くの人の目にさらすと判断した時、考えと気持ちと言い訳を文にした。その文を展示に来た人に向けて読み上げた。 動物と私 動物の私 動物と人 生き物と物 人の物 物の人 人の私、 あなたと私、 シカと、あなたと 私。 鹿と自分の間に人をそっと入れるつもりだったが、実は鹿を盾にしていた。 申し訳ないのか 福島利南
カーテンの隙間から光が漏れる部屋に作品らしきものが点在している。閑散としたその場所で、作者である福島利南は立ったりしゃがんだり所在なげに場所を変えながら朗読をしている。ある時は強く主張するように、ある時は聞き取れないほど小さな声で。作品の中心にあるのは2つの文章「シカ」と「猫の居ない部屋」である。それらは部屋の両端に対になるように置かれた机で自由に読むことができる。福島が読んでいるのは新作の「シカ」の方で、「猫の居ない部屋」は録音された朗読が机に掛けられたヘッドフォンから微かに流れている。 「シカ」は福島が山で拾った鹿の全身骨格を起点とした、動物と人間の死をめぐる複雑なイメージの断片による散文詩である。鹿の骨は部屋の中央に布で隠されるようにして置かれていた。黒土のようなコーヒーかすや表面が削り取られたアルミ缶などとともに。 もうひとつの「猫の居ない部屋」は昨年の11月に福島の自宅個展で発表された短編小説である。彼は2年前に偶然猫の死体を拾い、それを持ち帰って自宅の冷凍庫に2年間保管していた。福島の生活の傍らでずっと影のようにあったその事実。物体としての猫の死体への執着から、死を弔うことへの意識の揺らぎがみずみずしい文体で語られる。自宅個展では小説を読む鑑賞者の横に、かつて猫が入っていたはずの黒い冷蔵庫が置かれていた。 動物の生と死はありふれた日常の出来事であり、同時に救いのないリアルと繋がっている。人間の死も、また。その儚さ、重さは、制作者が「本当のこと」を作品にしようとした途端「本当でなくなる」という、表現の絶望に似ている。しかしその絶望に向き合った福島の経験は、剥き出しで透明な「希望」というべきものである。 油絵学科教授 袴田京太朗
作者より
2024年1月、山で鹿の骨を拾った。
それを人に見せることに対して違和感があり、だがどうしても見せてしまう。鹿を展示室に連れ込み多くの人の目にさらすと判断した時、考えと気持ちと言い訳を文にした。その文を展示に来た人に向けて読み上げた。
動物と私
動物の私
動物と人
生き物と物
人の物
物の人
人の私、
あなたと私、
シカと、あなたと 私。
鹿と自分の間に人をそっと入れるつもりだったが、実は鹿を盾にしていた。
申し訳ないのか
福島利南
担当教員より
カーテンの隙間から光が漏れる部屋に作品らしきものが点在している。閑散としたその場所で、作者である福島利南は立ったりしゃがんだり所在なげに場所を変えながら朗読をしている。ある時は強く主張するように、ある時は聞き取れないほど小さな声で。作品の中心にあるのは2つの文章「シカ」と「猫の居ない部屋」である。それらは部屋の両端に対になるように置かれた机で自由に読むことができる。福島が読んでいるのは新作の「シカ」の方で、「猫の居ない部屋」は録音された朗読が机に掛けられたヘッドフォンから微かに流れている。
「シカ」は福島が山で拾った鹿の全身骨格を起点とした、動物と人間の死をめぐる複雑なイメージの断片による散文詩である。鹿の骨は部屋の中央に布で隠されるようにして置かれていた。黒土のようなコーヒーかすや表面が削り取られたアルミ缶などとともに。
もうひとつの「猫の居ない部屋」は昨年の11月に福島の自宅個展で発表された短編小説である。彼は2年前に偶然猫の死体を拾い、それを持ち帰って自宅の冷凍庫に2年間保管していた。福島の生活の傍らでずっと影のようにあったその事実。物体としての猫の死体への執着から、死を弔うことへの意識の揺らぎがみずみずしい文体で語られる。自宅個展では小説を読む鑑賞者の横に、かつて猫が入っていたはずの黒い冷蔵庫が置かれていた。
動物の生と死はありふれた日常の出来事であり、同時に救いのないリアルと繋がっている。人間の死も、また。その儚さ、重さは、制作者が「本当のこと」を作品にしようとした途端「本当でなくなる」という、表現の絶望に似ている。しかしその絶望に向き合った福島の経験は、剥き出しで透明な「希望」というべきものである。
油絵学科教授 袴田京太朗