二十九歳愛さない(李济民)

LI Jimin

鲑魚廻遊

インスタレーション|サイズ可変

作者より

鮭は回遊の過程で一切を顧みず、目的地に到達するためには死さえも恐れない、まさに狂気のような状態です。私は、人間が最終的に目指すべき状態は、まさに鮭のような状態だと思います。選択肢が多くある時、それは本当の自由ではなく、ただ一つの使命感を持ち、それを達成するために死をも厭わない時こそが、本当の自由なのだと感じます。

二十九歳愛さない(李济民)

担当教員より

作品《鮭魚洄游》は、大学美術館の南側の外壁に沿って作品が配置されている。そこは生垣や室外機のダクトなどが張り巡らされ、普段は業者の人がメンテナンスのために通るぐらいで、人がひとり通れるほどの道幅である。タイトルが示すように、この作品は、鮭の回游がモチーフになっている。鑑賞では、入口で配布されている作品解説と地図が書かれたハンドアウトを手に取ることを勧める。注意深く見ていかないと作品を見落としてしまうからだ。作品は、使い込まれた日用品や拾ってきた木片やブロックなどを組み合わせて作られているため、この場に元々在るものと見分けが付きにくい。わたしが初めて鑑賞したときは、ハンドアウトを片手にうろうろと作品を探していたら、足元を光が一瞬横切ったのである。一つ目の作品『「時代の精神は何ですか?」「荒波から遠ざかる」彼女は誇らしげに言った』というタイトルのミラーボールの作品が頭上に浮んでおり、そこに太陽光が反射し、足元を照らしたのである。その光に誘われるように視界が広がり、いままで気づかなかった様々な場所に作品が設置されていることに気づく。その後は『海螺状の空は、渦巻き肉食者のために建てた教会』、『彼女は周囲の時空が崩れたように感じ、体から水が流れ出し』と作品が続いて現れる。「鮭の回游は、運命の感覚や選択、そして生命の狂乱を感じさせます」と、李の解説にあるように、この場に訪れた鑑賞者は、鮭と自身をイメージ上で重ね合わせ、回游する。作品は、美術館または私たちが作品を作品としてイメージを結ぶ場(頭の中かもしれない)から飛び出し、回游する。再び鑑賞した者の中で、イメージ(作品)がどのように形作られるのだろうか。

油絵学科教授 小林耕平