神田愛子

KANDA Aiko

heim

インスタレーション|石膏ボード
H3000 × W4000 × D4500mm

作者より

母が亡くなった。
母の荷物や家具は無くなり、母が拘っていた木造の家は真っ白に塗られた。

ただずっとそこにあると信じていた。

記憶を消すには景観を無くすのが最も手っ取り早いらしい。
改築後1年、既に私は母の記憶を手放しつつある。

目を背けて、何も気にしていないような顔をして過ごしていた。
けれど、母に対して、長年過ごした家に対して、自分に対して、誠実でありたいから、これら全ては傷であるということを認めようと思った。

塞がった気持ちに、穴をあける。軽くなって、今ここにある空気に、光にさらされる。

神田愛子

担当教員より

神田の作品は母親を亡くした事による本人と父親の心の空洞がトリガーとなり産み出されたものだと推測される。それまでの暮らしを支えてきた家は単なる住みかでは無く家族の物語を記憶する無形の彫刻ともいえるだろう。温もりの思い出と混在する悲しみと共に暮らしたいと思う本人とは別にそこから決別したいと思う父親の決断は新たな家に移り住むというものだった事は本人のステートメントから読み取る事が出来る。又、宮地尚子の「傷を愛せるか」というエッセイに場所を無くすことは記憶を消すことでありベトナム戦争の慰霊碑につながっている。「包帯クラブ」から傷ある風景が何にもならなかったとしても「何にもならないことも認めることが大切だ」という表記が制作の動機だとある。
作品は建材に使用される石膏ボートに穴を開け現れる嘗ての家の記憶の画像でもある。思えば最初の人類の住居は洞穴という空洞にあり足跡は土のへこみであり記号は対象物に傷を付ける事であった。制作の途中で発生する予期せぬ欠損も環境の反映として表現に取り込まれている。これらのマイナスを引き受ける神田のメンタリティーがボイドを反転させるクリエイティブに繋がったと思われる。神田の過去の作品は今回の表現とは異なるものであったが何やら修行めいた傾向にあり根底に流れる時の過ごし方がその都度表層に現れるのだろう。これは人生の反映であり、それに対して優秀賞という優劣をつける事は心苦しくもある。通常の作品は優劣のシステムに回収され既存の価値の盛り合わせやスタイルのアレンジメントに終始しやすい。そこから離れオリジナリティーに向き合うには瞑想にも似た行為が必要だと無意識に感じてきたのかもしれない。美辞麗句誉めで飾られた安直な師弟関係に対する批判性も感じざるを得ない。家族との切ない記憶を穴というボイドで確かめるもその穴から差し込む光や空気は現実や希望に置き換わる。行為の痕跡である石膏かすは空間にとどまるメモリアルダストなのだろう。

空間演出デザイン学科教授 津村耕佑