Weinberg(葡萄畑) ─光のレイアウト─ | Internationaler Flughafen Tokio-1960erVineyard: Light layout | Internationaler Flughafen Tokio-1960erキャンバス、油絵具H1620 × W1620mm、H1620 × W1620mm
卒業制作のテーマに行き詰まった夏、実家から亡き父の古いアルバムを取り寄せてみると、そこには戦後の復興と高度経済成長を支えてきた若者達の生き生きとした姿があった。私の記憶にない青年であった父との濃密な対話は、モノクロ写真からは読み取れない温もりや肌触りを生み、内なる感情を表出させる色彩や筆致となり、視覚を再現することに囚われてもがいていた私を解放した。父の残したギフトは絵描くことの楽しさと未来を信じて歩むことの大切さを私に思い出させてくれた。 谷口明美
作者の父親の古いモノクロ写真を基にした作品で、一見ではノスタルジーのようなものを感じさせる。しかし、かつて西洋絵画がキアロスクーロ(明暗法)で追求してきた存在や奥行きの空間を求めているのではなく、あえて画像という2次元で描こうとしている。そこに、光学的現象のみを記録するカメラと、脳内の記憶の集積を「見たもの」とする人間の捉え方の違いを逆説的に表現し、絵画というものの定義を問うているようにも感じられるのである。 造形学部 通信教育課程 教授 三浦明範
作者より
卒業制作のテーマに行き詰まった夏、実家から亡き父の古いアルバムを取り寄せてみると、そこには戦後の復興と高度経済成長を支えてきた若者達の生き生きとした姿があった。私の記憶にない青年であった父との濃密な対話は、モノクロ写真からは読み取れない温もりや肌触りを生み、内なる感情を表出させる色彩や筆致となり、視覚を再現することに囚われてもがいていた私を解放した。父の残したギフトは絵描くことの楽しさと未来を信じて歩むことの大切さを私に思い出させてくれた。
谷口明美
担当教員より
作者の父親の古いモノクロ写真を基にした作品で、一見ではノスタルジーのようなものを感じさせる。しかし、かつて西洋絵画がキアロスクーロ(明暗法)で追求してきた存在や奥行きの空間を求めているのではなく、あえて画像という2次元で描こうとしている。そこに、光学的現象のみを記録するカメラと、脳内の記憶の集積を「見たもの」とする人間の捉え方の違いを逆説的に表現し、絵画というものの定義を問うているようにも感じられるのである。
造形学部 通信教育課程 教授 三浦明範