岡村あい子

OKAMURA Aiko

自我
Ego

夢現
Yumeutsutsu

アニメーション|プロジェクター
映像|3分29秒、3分0秒

作者より

自我
家に帰ると彼女は服を脱ぎ、コンタクトを捨て、化粧を落とす。そして、確かめる。自らの体に触れ、自らの像に手を伸ばして、声をかける。
「お前は私を理解するか?孤独を語ることは出来るのか?」
「自我」は、修了を前に自分自身を省みる「自画像」として始まった作品である。非社交的な瞬間も、像は確かに自分の姿をしていた。毎日排除されている陰湿な心、光の入らない冷たいところ。これらを救済するように本作品は作られた。

夢現
今日も同じ電車の中、同じ日の中にいる。祈りは重なるばかりで体をなさず、私は踊りださない。
アニメーションは動きを描くからこそ、人生の停滞する様を表現することができる。景色の変化の乏しい様を穏やかだと安心することも、虚しいと嫌うこともできる。ある日退屈な微睡の中で、ふいに車窓から光が差し込み、目を奪われた。忙しい日常の隙間とも見える移動時間から作品をつくり、虚空の共有を試みる。

岡村あい子

担当教員より

膨大なドローイングから生まれる岡村あい子のアニメーションは、「気配」の存在が特徴的だ。それはいわば「動かない」映像(実際は微細に動き続けている)が醸し出すもので、アニメーションという言葉の由来に含まれる、「生命のない動かないものに命を与えて動かす」という本来的な欲望に対抗するようで、アニメーションに新規の局面を与える可能性がある。また何が描かれているのか誰もが判別できるという点で、彼女の作品は全ての鑑賞者に開かれている一方、安易な解釈を拒絶するような死生観をも感じさせる。

油絵学科教授 諏訪敦