虚像との暮らしインスタレーション、パフォーマンス|MDF、木材、アクリル絵具、ビニール、布サイズ可変
過去、時代は暮らしのどこに消えたのだろうか。物が経てきた時間はどこに行ったのだろうか。1960、70年代、つい数十年前のことだというのに私は実際には見ていないし、体感もしていない。今から見るともう非現実的なようにも見える。しかし、物や人間を通して過去の記憶は幽霊のように虚像となって暮らしの中に現れる。私たちは過去の虚像と共に暮らし、今を過ごし、これからを考える。 樋口舞
家にあった自分が生まれる以前の生活用品、特に1960年代のものの感覚が彼女に強烈な印象をもたらした。彼女の中でそれらの持つ開放的な色使いや未来志向のデザインが制作への意欲を掻き立てる存在として重要になり、学部のある時期から60年代を研究テーマとして作品を制作するようになる。限られた一時期への絞り込みへの批判的な意見や評価もあったが、粘り強く独自の研究を重ねた。今回は60年代の製品の画像をその形に切り取った板に描き、当時のリビングやダイニングを再現した。それらに強い光を当てて広げたビニールの膜に反射させ、膜の向こうには60年代風の衣装を纏った本人がいるという仕掛けを作った。朧げに立ち上がる過去の様子は印象深いものとなり、作品はあたかも過去へとつながる装置のような存在となる。過去の時間の現前化を独自の方法で作り上げた。 油絵学科教授 赤塚祐二
作者より
過去、時代は暮らしのどこに消えたのだろうか。物が経てきた時間はどこに行ったのだろうか。1960、70年代、つい数十年前のことだというのに私は実際には見ていないし、体感もしていない。今から見るともう非現実的なようにも見える。しかし、物や人間を通して過去の記憶は幽霊のように虚像となって暮らしの中に現れる。私たちは過去の虚像と共に暮らし、今を過ごし、これからを考える。
樋口舞
担当教員より
家にあった自分が生まれる以前の生活用品、特に1960年代のものの感覚が彼女に強烈な印象をもたらした。彼女の中でそれらの持つ開放的な色使いや未来志向のデザインが制作への意欲を掻き立てる存在として重要になり、学部のある時期から60年代を研究テーマとして作品を制作するようになる。限られた一時期への絞り込みへの批判的な意見や評価もあったが、粘り強く独自の研究を重ねた。今回は60年代の製品の画像をその形に切り取った板に描き、当時のリビングやダイニングを再現した。それらに強い光を当てて広げたビニールの膜に反射させ、膜の向こうには60年代風の衣装を纏った本人がいるという仕掛けを作った。朧げに立ち上がる過去の様子は印象深いものとなり、作品はあたかも過去へとつながる装置のような存在となる。過去の時間の現前化を独自の方法で作り上げた。
油絵学科教授 赤塚祐二