大塚珠生

OTSUKA Tamaki

Connected Bodies

FRP
インスタレーション|サイズ可変
映像|3分23秒、パフォーマンス|15分

作者より

この作品は、二人の人間が貝をモチーフにしたオブジェを身に纏い、「彫刻になる」 パフォーマンスです。このオブジェは二人の身体を接続する器官として機能します。各パフォーマーは互いを切り離すことのできない制約を抱えながら、複数のポーズをとり続けます。
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引用されるポーズは、彫刻家カミーユ・クローデルの作品に基づいています。 彼女の作品からは、作者と作品という対象間を融解する時間や、主体(作者と)創造物がゼロ距離であることを感じます。彫刻家であり彫刻であった彼女の、その作品を、生きた二つの身体と死んだ彫刻の接続によって再演します。
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本作では、作る主体/作られる客体という固定的な関係の境界を、二体の身体を直接接続することで、他者を内包する「私」として曖昧にしたいです。

大塚珠生

担当教員より

作者の大塚と同級生の矢部により、そのオブジェを装着し、二人の連鎖により、カミーユ・クローデルの作品に因んだ、およそ五つのポージングを具現化していくパフォーマンス作品である。 

舞台(台座)は背丈がほぼ同等のパフォーマー二人の髪を含めた身長とほぼ同じ長さ160センチ。横幅が130センチ、高さが60センチに設定されており、二人が寝転んだり座ったりする事において必要最低限のスペースである。これは二人が彫刻作品となり得た時にちょうど良い台座のサイズであると言えよう。上面にはページュのパンチカーペットが敷かれていて、人が居る(過ごす)事を感じさせる。そして、蝸牛とオウム貝をモチーフにした長さ1メートル程の二人で被る事を想定したオブジェと互いの手を連携させる装着器具としてのオブジェが設えらている。

そして、パフォーマンスは開始される。登場した二人は脇見もせず、その舞台を目がけて早足に進む。舞台に上がり、そのオブジェを装着する。かなりの重量がありそうだ。頭部をスッポリと被り、二人の視界は遮られる。そして、向かいあった互いの両手の指にはカタツムリの柄が分断された様なかたちのオブジェが装着される。それは両手の動きと可動域が限定され、かなり困難を要することは容易く想像できる。なるほど、二人がオブジェを装着するまでのプロセスも興味深い。

両者のコスチュームは肌色を基調とし、身体のラインが露わになる様なものが選ばれ、舞台もオブジェも肌色である。それらは生命や身体を示唆する意図もあったのだろう。パフォーマーそれぞれの彫刻作品やそれに対する考え方の違いも意識しているのだろうか。二者の関係性に於いても様々な読みときが可能だ。人間の持つ多様性。カミーユ・クローデルとロダン。彫刻作品と身体性。自己とそれを取り巻く環境。それらにアクセスしている事はもちろん、装着したオブジェにより、視覚と両手の自由さを奪われながらも他者との連鎖により、五つ程のポージングを具現化していく。そしてなにより、協働や共生…。そんな口当たりの良いものばかりでもなさそうだ。人間の生きる事の悦びと厳しさ。そして、その世界とは。それらは互いに連鎖し、ギリギリの状態で成り立っているのかも知れない。そう、一方がバランスを失うと両者が舞台から転落するのだ。瞳をとじて、全神経を身体に集中させ、他者に負荷をかけたり、あるいは同化させようとする。それは頼りにするべき最終的な術であるのかも知れない。太古の人類が持つ、脳の進化以前から備わっていた能力。大塚は、今なお謎に包まれた蝸牛官やコルチ器の機能についての特筆すべき点をすでに察知しているのだ。大塚の更なるテーマ性を持った作品に出会える事を期待したい。 

彫刻学科教授 三沢厚彦